「中庸」のバランス その一
familychiro 8 月 18th, 2008
様々なストレスパターンがある中で、白黒はっきりしないと気が済まなく、白でも黒でもないグレーな領域が苦手なタイプの人がいる。
「白なのか黒なのかはっきりしてよ~」という人は少なくはない。
しかしながら、そのようなタイプの人は、心身が緊張パターンになり、そのパターンが原因で様々な症状を生じさせることが多い。
中国の論語の中で、「中庸」という言葉がある。孔子が、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と言われとされる。これは、「どちらにも片寄らない中庸の道は、徳目の最高指標である。」という意味で、「過ぎることもなく、及ばぬこともなく、しかも偏らないで、終始変わらないところの中庸は、人間の道徳としての価値が最高至極のものである。」としている。
この「中庸」という思想は、心身の健康のみならず、ビジネスやスポーツの世界においても、様々なバランスをわきまえるという意味においては、とても重要な座標軸になるように思う。
アスリートなどはとくに分かりやすい例だと思うが、この「中庸」が保てなかったときに、心身が過ぎてしまい、体調を崩して本番で実力が発揮できなくなる例も少なくはないだろう。
スポーツに限らず、人生においても、この「中庸」を保つことは、最高指標だということが良く分かる。
「中庸」を保つために「ほどほど」や「いい加減」という感覚がとても大切になるが、それが、中途半端なことをしているかのように誤解を受けやすい。
過ぎることもなく、及ばぬこともない中庸のバランスは、目的に応じてどこに軸足を置くかのポイントの見極めがとても大切になるだろう。
北京オンピックの女子マラソンで2連覇を期待されていた野口みずき選手は、中庸のバランスでいえば、恐らく「過ぎてしまった」一例かもしれない。
2連覇を達成するためのプレッシャーと自己の肉体の限界を超えたトレーニングとの狭間でバランスを崩したのかもしれない。
その肉体の限界にメンタル面がどのように調和するかがポイントになるが、過ぎているという基準は、誰が決めるのだろうか?
恐らく理屈的なモノではなく感覚的なモノだろう。そして、その限界への挑戦を“楽しむ”ことに転嫁できるか、あるいは、“義務”として臨むかでも心身両面の「緊張」度合は大きく異なるだろう。
もっと深く言えば、“楽しむ”こともほどほどにしなければ、楽しむことが過ぎると「中庸」が保てなくなる。だから、「中庸」を保つことはとても大切で難しいのである。
人間は成長ために、時には限界に挑戦することも大切だが、それが過ぎると、長い目で見るとマイナスになることもある。
また、「中庸」の観点からすると、「成長」過程の全てバランスが取れているとは限らない。時には「休止」、さらには「衰退」も長期的な成長からすれば必要なものなのかもしれない。
心身条件反射療法では、肉体の神経反射反応を基準に検査を行うため、この「中庸」のバランスが保たれているかどうかがすぐに分かる。
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