こころとからだの関係性(心身相関)

福岡のドクターオブカイロプラクティック(D.C.)のブログ。

Archive for 11 月, 2009

魂の情報交換

familychiro 11 月 30th, 2009

先日、ある有名な旅館の女将さんが治療に来られ、いくつかの「緊張パターン」の中で、大切な気づきがありました。

その「緊張パターン」は、のど周辺に示されたエネルギーブロックでした。

その「緊張パターン」の五感情報は聴覚刺激で、お客様と対話する自分の声に過敏反応を示していました。

その「緊張パターン」のイメージから「リラックスパターン」のイメージに切り替えてもらい検査をしたところ、なかなか「リラックスパターン」に切り替えることが困難な様子でした。

その内容を少しお尋ねしてみると、その旅館には、元首相などの著名人や様々なお客さんが来られるとのこと。それぞれのお客さんの対応の仕方には十分に気を使っているつもりではいるが、最近、自然体での接し方が分からなくなってきているとのことで、リラックスパターンに切り替えることが難しい様子でした。

そこで、一つの提案として「、さまざまな肩書のお客様が来られるかもしれませんが、一人一人のお客さんの「心と心」、「魂と魂」で情報交換をしているような感じ方はどうですか?」と提案させていただいた。

すると、何か腑に落ちた様子で、「リラックスパターン」に切り替えることができました。

これは、私自身の経験からのアドバイスでもあり、この小さな治療院にも様々な肩書の患者様が来院して下さり、どのように接するべきなのかという軸足がぶれることも以前はあったと思います。

しかし、心身条件反射療法という本質的な施術を通じて学ばせていただいたことは、年齢や肩書などの関係なく、魂との触れ合い、魂との情報交換が大切なのだということが、臨床の現場を通じてだんだんと分かってきました。

年齢や肩書、学歴などに囚われず、一人一人の魂を尊重しながら施術を行うことの大切さをいつも感じさせられます。

人間をモノや機械としてではなく、生命体、さらには魂のレベルで診させていただくという感覚で診させていただくと、より深い関係性が診えてくるように思います。

また、臨床に限らず、実生活の中でその魂の触れ合いを大切にし、魂に磨きをかけることに歓びを感じることができれば、大きな成長が得られるのかもしれません。

機械論的思考ラインのがん研究

familychiro 11 月 26th, 2009

先日、NHKスペシャルの番組で、膀胱がんの手術を受けたジャーナリストの立花隆さんが、一人のがん患者として「人類はなぜ、がんという病を克服できないのか」という疑問に向きあい、世界中の研究者たちを取材して、がんの正体を根源的な部分から見詰め直そうとしている立花さんに密着する番組が放映されていました。

最先端の癌の研究者に取材をしていたようでしたが、やはり、近代科学という機械論的思考ラインからは脱却できていない取材だったように感じました。

研究者たちの研究手法の多くは、機械的で、閉鎖的なミクロ的なアプローチでした。つまり、閉鎖された空間の中で研究を進めているので、外界との関係性で生かされている生命体という本質的な視点からはかなりかけ離れた研究のように感じました。

ただ、一つ興味深かったことは、細胞を癌化させる遺伝子のパスウェイ(シグナル伝達経路)の研究で、酵素やホルモンなどの生化学的な連鎖反応に注目していることでした。これは、単に分子レベルの物質だけの研究ではなく、遺伝子レベルの分子間の関係性をエネルギー的にとらえようとしている研究と表現してもいいのかもしれません。

しかし、この研究も肉体内だけに生じる関係性にとどまるので、本質的な原因メカニズムは見いだせないだろうという感じがしました。

結論的に、それらの研究が進めば進むほど、がんの本質がさらにつかみどころのないものになっていくだろうという印象を受けました。

そして、最先端の抗がん剤治療による治療成績は、抗がん剤治療を受けない患者さんと比較すると、数か月間長く延命できる程度で、治療してもしなくても変わらないというデータも紹介されていました。

そして、立花さんも、抗がん剤治療は受けずに、QOL(生活の質)を向上させることを優先させていきたいということを語っていました。

国民の半数以上の人が癌で亡くなるといわれています。そして、この番組でもわかるように最先端の医学では癌は治らないということです。でも、多くの人はなぜ、その治らない治療を受けつづけて、苦しい思いをするのでしょうか?

多くの研究者は、なぜ、肉体内だけにがんの原因を追い求めるのか?なぜ、心と身体の関係性をがんの原因として追求しないのか?なぜ、機械論的思考ラインの研究から、有機論的思考ラインの研究へとパラダイムシフトできないのか?そんな疑問を抱きました。

恐らく、「心と身体の関係性」にがんの原因を追及している研究者も多く存在していると思いますが、心の状態を客観的に表すことができたいために、研究成果として証明し難いという難点があると思います。

筆者もがん治療の研究やがん予防の研究を、「心と身体の関係性」という視点から臨床的に研究している一人の治療家です。癌になるにはそれぞれに原因のパターンがあると臨床的には感じていますが、その治療効果や因果関係を客観的、科学的に証明するのはとても難しいと感じています。

ただ、言えることは、がんは脳(心)が創り、脳(心)が治すということです。様々な病気のプロセスにもパターンがあるように、がんになるにもパターンがあるようです。治るためには、その病的パターンを認識して、健全なパターンに切り替えることです。

ですので、がんと診断されて良くなる患者さんは、メンタル的なパターンが本質的に切り替わっており、治らない患者さんはメンタル的なパターンが本質的には切り替わり難いようです。

これはがんに限らず、さまざま病気の背後にはメンタル的なパターンがかかわっております。そしてそれは、表面的に分かるレベルのパターンではなく、潜在的なレベルのパターンなので、身体の無意識レベルの反応を診ていかなければ、そのパターン反応はつかめないのです。

「潜在的な感性」と「顕在的な理性」、あるいは「潜在意識の自分」(感性)と「顕在意識の自分」(理性)という二人の自分が離れ離れになっている状態では、癌に限らず、さまざまな病気を作りだしてしまいます。

病気の最大の予防は、感性と理性の統合であり、潜在意識と顕在意識の統合です。言い換えれば、自分の心の中の本音が何であるかをよく理解していることが必要で、その本音の自分を嫌い、排除し過ぎてしまうと、病気へと進行していきます。

ただ、それらは自分自身の意識レベルで判断するのはとても困難です。だから、心身条件反射療法のような潜在意識レベルの「緊張パターン」を検査して、それを統合させる施術が必要なのです。

今後も、一人の治療家として、信頼して通院して下さっている多くの患者さん達が、病気になりたくてもなれないような脳の柔軟性(心の適応力)を身につけることができる治療法の研究を継続していきたいと考えております。

「陰徳」による天への貯金

familychiro 11 月 24th, 2009

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先日、ミーティングで「陰徳」について、スタッフで話し合ってみました。

陰徳を積む会社という社訓を掲げながらも、なかなか実践実行できていない自分たちの反省も込めて、一歩踏み込んで考えてみました。

「陰徳あれば必ず陽報あり」とう言葉がありますが、人生の幸、不幸を決定づけるには、目には見えない「徳」の力が作用しているといわれています。「徳」をどれだけ貯金できるかで、人生の幸、不幸が決定づけられるといっても過言ではないかもしれません。
また、人生を永く、よりよく豊かに生きている賢人は、口をそろえて徳積みの大切さを強調しているように感じます。

「徳」という意味を辞書で調べてみると、
広辞苑では、
 道をさとった立派な行為。善い行いをする性格。
大辞林では、
 修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力。

そして、「陰徳」という意味を調べてみると、
広辞苑では、
 人に知れないように施す恩徳。
大辞林では、
 世間に知られないよいおこない。

「陰徳」の対義語に「陽徳」があります。「陽徳」の意味を調べてみると、
広辞苑では、
 世間によく知られるようになる徳行。
大辞林では、
 人に知られるようあらわに行う徳行。

「陰徳」とは「日常生活の現場で、世のため人のためになることを、自分の評価にかかわらず施すこと、与えること」になるのでしょうか?

ボランティア活動なども分かりやすい徳積みですが、そのボランティア活動の中にも「陰徳」と「陽徳」があり、人知れずこつこつと世のため人のために行うボランティア活動は「陰徳」になり、もしも、その活動によって何らかの評価や表彰が得られるのであればそれは「陽徳」になりますね。

「陽徳」も大切ですが、「陰徳」を天に貯金すればするほど、運気が良くなるといわれています。徳の内容にもよりますが、陽徳が30点だとしたら、陰徳はその倍の60点ぐらいの貯蓄になるのかもしれません。

陰徳とは、世間に知られないよい行いのことですが、例えば、トイレ掃除など比較的に人が嫌がる仕事を率先して行っている人がいるとします。もしも、その人が「あそこのトイレも私がきれいにしました。あそこの公衆トイレも掃除しました。」といって人に評価してもらいたくて公言し、実際に他人から「それは素晴らしいことですね」と、評価をいただいたとします。さて、この人の陰徳の貯金はどうなるでしょうか?

例えば、トイレ掃除の徳の評価点が60点だとして、もしも、人知れず、誰にも評価されないで、喜んでトイレ掃除を行っていたとしたら、その人は確実に60点の徳の貯金ができて、運気が貯まるということになるのでしょう。しかし、もしも、トイレ掃除をしたことで他人に評価されたとすると、評価されたことでマイナス30点が差し引かれ、徳の貯金は30点ということになるわけですね。

陰徳は、単に行動だけで得られるものではないようです。
仏語に「身・口・意」(しんくい)という言葉があるように、「身」=行動で表す、「口」=言葉で表す、「意」=心で表すというように、徳の積み方には色々あります。

例えば、笑顔一つにしても「身」=行動で表す徳積みでしょう。「口」=言葉で徳を積むには、何気なく人に励ましの言葉をかけたり、いたわりの言葉をかけたり、喜びの言葉をかけたりすること。時には、相手のために愛情込めて叱る、お説教をすることも徳を積むことになるかもしれません。「意」=心で徳を積むには誰かのために、家族のために、ご先祖のために、社会のために、人類のために祈るということ。そして、何事に対しても喜べる心、感謝できる心を持つということでしょう。

「徳」は天への貯金ですから、不平や不満を心で思ったり、言葉で発したりすると、今まで貯めてきた徳の貯金は差し引かれて減ってしまうという訳ですね。徳の貯金が、実際の数字でわかるというわけではないのでどれくらい貯蓄できているのか分からないのは当然ですが、まだまだ徳積みは足りないという謙虚さが大切なのかもしれません。

論語の中で、「温・良・恭・倹・譲」という言葉があり、孔子の人柄と、ものごしを五つの言葉(五徳)で表したとされます。温=おだやかさ、良=すなおさ、恭=うやうやしさ、倹=つつましさ、譲=ひかえめ、という五つの徳を備えたお人柄で、徳が身についていれば、自然にそのような振る舞いになるということなのでしょう。

人間は、ついつい怠惰になり、さまざまな欲望に弱い生き物です。徳の貯金どころか負債を抱える傾向が強いのかもしれません。また、このような徳の知恵を頭で理解していても、日常の実生活の中で実践しなければ意味がありません。徳を積むチャンスは、皆平等に与えられているはずです。徳を積むチャンスを逃さず、ご自身のために、実生活の中で徳積みに励みましょう。

「徳」とはどれだけ、見返りを顧みずに何かを与えることができるかだと思います。徳積みの目的は、究極的には自分のためですが、徳積みに軸足を置くことで、世のため人のためになることが自分のためになるという「正の循環」ができるわけですね。

人はいつ何時、不運や不幸に苛まれるかはだれも予測できません。そのような災難に遭遇しないためにも「陰徳」による徳の貯金で自分の運気を高める努力をしておきましょう。
 

剣道の試合で緊張パターン

familychiro 11 月 21st, 2009

10歳の男の子が剣道の試合に出場するとのことで、心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)で検査をしてみると、試合の全体のイメージで「緊張パターン」の反応が示される。

さらに、詳しく調べてみると、『自分の内的な声』で反応が示された。試合のことで何か考えていることはないか尋ねてみると、真っ白になって何も考えていないとのこと。
試合前はどのように考えていると尋ねてみると、「一本取らないといけない」、「隙を逃さない」などと考えているとのことで検査をしてみると「緊張パターン」になっていた。

そのような緊張するパターンの考え方をリラックスできるパターンの考え方にできるかどうかを尋ねると難しいとのこと。練習の時は楽しいかどうかを尋ねてみると、練習では楽しいらしい。

「練習で楽しんでいるように、試合も楽しんでするようにしたらどうですか」と提案させていただき、プラスのイメージに切り替えた。

さらに上肢の筋力の抵抗運動を調べてみると、左ひじの関節の周辺の抵抗運動で痛みが生じる様子。自転車の転倒による打撲の痛みもあったようだが、原因を調べてみると、剣道の動作で「緊張パターン」になっていた、さらに細かく見てみると面の動作で「緊張パターン」を起こしていた。

治療後に分かったことだが、面を打つときに指導してくれている先生から左腕が弱いので面が決まらないと注意されているとのことだった。

アドバイスとして、面を打つ動作の技術的な意識よりも、面が上手に決まった結果の意識をもって面を打つように心がけた方が、実際に身体がそのようについてくると思いますよとアドバイスさせていただいた。

これは、他のスポーツにもよくあることであるが、関節の角度や力の入れ具合など、技術的な動作に意識が行き過ぎると、かえって力が入り、脳が誤作動を起こして関節周辺の筋肉のバランスを崩して、関節などを痛める例が多い。

技術的な指導も大切な時もあるとは思われるが、最終の動作結果のイメージがしっかりできているかどうかがとても大切で、その最終動作ができてからでないと、不自然な力が入りやすいことが多い。

最終結果のイメージがしっかりできていれば、後は、自動操縦のように脳がその目的のために自動的に筋肉をバランスよく使ってくれる。

これは、スポーツに限らず、メンタルブロックを解放させる基本的なコツでもある。

脳に制限を加える医学的指導による暗示効果

familychiro 11 月 20th, 2009

小学5年生の女の子が、薬指と小指を捻ったとのことで病院を受診。レントゲン検査では骨には以上ないとのことで、テーピングでしっかりと固定されていた。

女の子によると、指がグニャ~と曲がり、すごく痛かったとのこと。病院の先生には4週間固定しなければならないといわれたとのこと。

指だけで出なく、腕も痛くたったとのことで診させていただいた。テーピングを外してみると、腫れや皮下出血などはほとんどなく、靭帯や軟部組織の損傷はほとんどない印象を受けた。

女の子に指を動かすように促すと、ほとんど動かせない状態。アクティベータ療法で神経関節の機能障害を改善させ、ある程度指を動かすことができるようになるが、まだ、痛みと指の運動制限があるので、心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)でさらに検査をしてみると、障害を受けた際に、指がグニャとなって痛めた体感覚の記憶で反応を示した。

また、「指を曲げるとよくない」という病院の先生の指導の声も「緊張パターン」として条件付けされており、暗示的効果による脳への制限が加えられていた。関節に制限を生じさせる暗示効果による「緊張パターン」も「リラックスパターン」に切り替えると、指がほとんど自由に動かせるように改善された。

筆者も整骨院で勤務していた当時、指の捻挫はしっかりと固定して、患者さんには指を曲げないように指導していた。しかし、その指導をまじめに守る患者さんほど治りが悪く、指導を守らずに、勝手に自分で固定を外すような患者さんの方が、むしろ治るのが早かった。

今だからその理由がよくわかるが、医者や医療従事者が怪我や病気を長引かせるということは、潜在的には多いと感じる。

関節周辺の靭帯や軟部組織が損傷を受けているので、その修復ができるまである期間の固定が必要であるという当たり前のような理屈であるが、そこに多くの問題が潜んでおり、怪我そのものよりもむしろ固定や医療従事者による指導的暗示効果による弊害の方が多いように思う。

では何を基準に固定期間を定めるのかということになるが、医学教科書のような固定観念にとらわれず、患者自身の身体の感覚を基準にすることが大事だと思う。

例えば、骨折がある場合などは、明らかに骨折特有の腫れがでて、内出血を起こして、関節を動かすことができなくなる。骨の転移などがあれば、当然、外科的な処置が必要になる。

患者さんは痛ければ関節を動かさないので、まずは関節を自分で自由に動かせるかどうかを確認すること。そして、もしも、動かせるようであれば、動く範囲内で関節を動かすように指導することが大切だと思う。

その方が、むしろ神経的にも構造的にも自然に治る力は高まるはず。それを過剰に関節動きの制限を加えてしてしまうと、治る力にも制限が加わる可能性が高い。

固定することは簡単であるが、その固定によって、さまざまな弊害があることをもっと多くの医療従事者に知ってもらいたいと思う。

ウイルスとの共存、調和を考える

familychiro 11 月 5th, 2009

新型インフルエンザの対策で、多くの人々が過敏になっているようです。

患者さんには、「ウイルスを嫌いすぎると、身体が過敏になりすぎるので、仲良くした方がいいですよ」と冗談半分に話したりします。

考え方を押しつけたくはないので、冗談であるかのように話しますが、実は、本気に考えているのです。

ウイルスも生物である以上、ウイルスの中にも心があって、それぞれに性質があるのかもしれません。

犬を嫌いすぎると、攻撃的になるように、こちらが好意的であれば、相手も好意的になるという経験はありませんか?

首都大学東京教授(公衆衛生、医師)星 旦二教授によりますと、

『多くの致死的感染症が激減された背景に、栄養の向上と下水道など衛生環境の整備が関係しており、ワクチンや抗生物質の役割は極めてすくなかった。特に、経済発展による食生活の豊かさの寄与度が大きいことは歴史が証明している。
人は体内に多種多様なウイルスや抗生物質の役割は極めて少なかった。人は体内に他州多様なウイルスや細菌、微生物を抱えて共存している。だが、抗生剤などを多用すると、細菌の突然変異を促し、薬の薬用を減退させる薬剤耐性菌を生み出す。ウイルスは強毒化する。殺虫剤などの乱用が、かえって生態系を崩すこと同じである。人も、無菌状態で生存できるわけではないのだ。
通常インフルエンザの流行は冬季に毎年繰り返され、それは数年以内に代版の国民が感染すると推定される。しかもそのほとんどは発病せずに免疫を獲得する「不顕性感染」である。しかしながら、バランスのとれた適切な栄養を摂取せず、持病などにより免疫機能が十分に働かない虚弱高齢者らが感染した場合には、二次感染として細菌性肺炎などを併発し、毎年約一万人が死亡している。
つまり、有効な感染症対策の核心は人に備わっている免疫機能を最大限に発揮することにあり、それには栄養が最も大事だ。楽しく笑いにあふれた食卓を囲むことの健康への効用という関係性を忘れてはならない。』(出典:朝日新聞)

現代の偏った常識的な情報にとらわれない、とても本質的な記事だと感じましたので、たくさん引用させていただいた。

星教授は、十分な栄養の摂取を強調され、楽しく笑いにあふれた食卓を囲むことの大切さにも触れています。

また、最近は、血中総コレステロース値が高く、むしろ小太りの方が長寿を保っていることが分かってきたことにも触れて、栄養摂取の大切さを裏付けているとのことです。

心身条件反射療法(ニューロパターンセラピー)で、身体のバランスに影響を与えている食事に関する「緊張パターン」の原因を調べてみると、栄養不足というよりも、むしろ、以下のようなパターンが身体に悪影響を与えているようです。

 食べ過ぎて太るのではないかという不安感
 栄養素が不足しているのではないかという不安感
 食事のバランスが偏っているとう不安感

食生活の中で、偏りがなくバランスのとれた食事を腹八分目にいただくことが大切ですが、あまりにもカロリーやバランスを過剰に意識し過ぎて、身体に悪影響を与えている人も少なくはないようです。

栄養のバランスも大切ですが、身体が欲しているものを、偏らず、質素に、ありがたく喜んでいただくことの方が、もっと大切なことだと感じます。

そして、インフルエンザの予防には、食習慣も大切ですが、ストレスをためない習慣も大切です。

ウイルスや細菌も生き物です。ネガティブな感情の時に、ネガティブな人が周りに集まりやすいように、ネガティブなウイルスを引き寄せて、身体がさらに過剰に反応させるのかもしれません。

ウイルスとの共存、調和ができていればいるほど、たとえウイルスに感染したとしても症状がでてこないか、症状がでてきても軽くて済むということがあるのかもしれません。

本来、脳はさまざまな環境に適応できる「柔軟性」(適応力)を持っています。今回の新型インフルエンザも罹りやすい人と、重症、軽症の違いがあるということは、脳の柔軟性に違いがあると考えられます。

目には見えないウイルスや細菌なども人類にとって大切な存在で、人類の仲間といってもいいと思います。そして、それらを排除、撲滅するのは自然の法則に反しているのかもしれません。

ウイルスに対する世間の風潮は、避ける、避ける、避ける、そして、ワクチンですが、少し発想を変えて、ウイルスとの「調和」を考えることも大切ではないでしょうか。

「退屈感」で身体が緊張するパターン

familychiro 11 月 3rd, 2009

腰痛や肩こり、関節痛などの原因の一つに「退屈感」を潜在的に感じて「緊張パターン」を示す人は少なくはあいません。

たとえば、テレビを本当は見たくもないのに、惰性的に見てしまい、ついつい面白くない番組を観てしまうと、退屈感などの潜在的感情が渦巻いて、身体に「緊張パターン」を引き起こす例は少なくはありません。

「退屈感」で病気になるということに対して、不思議に思われる人もいるかもしれませんが、「退屈感」は人間の存在価値そのものに通じる要素をたくさん含んでおり、脳に錯覚を生じさせる傾向が多分にあるようです。

「退屈感」で病気になりやすい傾向として、

 子育ての役目を終えた後、
 定年退職後、
 大きな目標を達成した後、
 目的・目標を見失った後、
 予定のない休日、

などがあります。

一般的には、肉体的、精神的な負担をなくすと楽になるという考え方が普通だと思いまが、その考え方には、大きな危険性をはらんでいます。

例えば、今は、「介護」とうい言葉が、当たり前のように耳にするようになって、高齢者は、当たり前のように介護を必要にするかのような風潮があるように感じます。

しかし、この「介護」は、「諸刃の剣」で大きな成果や効果をもたらす反面、大きな危険性をも併せ持っているように感じます。

なぜかというと、高齢者という理由だけで、今まで行なってきた仕事を他に人に任せてしまう傾向にあります。すると、今まで生かされてきた自分の存在価値が、無くなってしまったかのような錯覚を生じさせるようになります。

今までしてきた、仕事、家事、あるいは何かの役割を無くすということは、楽になるからその人のためになるという簡単な問題ではなく、その人の潜在的な存在価値までを奪うことにもなりかねないのです。

このようなからくりは、心身条件反射療法のような本質的な治療法で患者さんを診させていただくようなってからわかったことですが、人間は何かに役立っているということで、脳が安定するようにできている生き物ようです。

また、脳科学的にも肉体やメンタル面を使わなくなると、脳がどんどん衰えるということも最新の研究で明らかになっております。

ストレスは過剰になると病気になりますが、ストレスが無さ過ぎるのも病気になるのです。

ストレスは、料理を美味しくするスパイスのようなもので、肉体的にも精神的にもほどよい刺激が必要です。

そして、そのスパイスを通じて、人が人として「役立っている」という状況を作りだすことが大切です。

だから、介護などでは、手助けし過ぎて、その人の脳の刺激や存在価値までをも奪わないように気をつけることが肝心だと思います。

最低限、自分でできることは自分で行い、さらには、人のお世話をしてあげることが自分の脳の健康にはとても良い刺激になるということを忘れないようにしましょう。