「無償の愛」と「損得勘定の愛」
familychiro 10 月 29th, 2008
先日、ある患者さんの肩、首の緊張パターンの原因を調べていると、大学生の息子さんとの関係で、身体に緊張反応が示されていた。
今まで子供には様々なサポートをしてきたにも拘らず、ご自分の思い通りの行動をとってくれないということが「緊張パターン」になっており、親子関係でのやり取りで、それは、「無償の愛」に基づくサポートなのか「損得勘定の愛」に基づくサポートなのかのテーマが浮かび上がってきた。
最終的には、そのサポートは「無償の愛」を基準にしたサポートというよりも、むしろ「損得勘定の愛」に偏ったサポートではなかったかということにご自身が気付かれて、府に落ちた様子で、「緊張パターン」も解消された。
多くの大人は、自分の子供に対して「無償の愛」を注いでいると考えているだろう。いや、それが当たり前だと考えているかもしれない。
しかし、その愛情表現は、本当に深い「無償の愛情」なのかと問われると、自信のある人とない人がいるだろう。
たとえば、極端な話、自分の子供が危険に曝されたとき、自分の命と引き換えに助けることができますかと問われたとき、「当然、助けますよ。」と答える人、「その時になってみなければ分からない。」という答えかもしれない。いや、できるかどうか分からないといいつつも、その時になったら本能的に助けるかもしれないし、「当然、助けますよ。」と頭では考えても、いざとなったら行動が伴わないこともあるかもしれない。
実際には、そのような無意識レベルの潜在的な行動パターンはその時になってみなければ分からないだろう。しかし、親子関係を問わず、相手に対しての「無償の愛」なのか、あるいは、相手からの見返りを期待しての「損得勘定の愛」なのかを考えることは、自分を謙虚に振り返る意味で大切なことかもしれない。
親子関係を問わず、もしも、相手との関係が「損得勘定の愛」の交換であれば、相手が自分の愛情表現や行動と同等あるいはそれ以上のモノでなければ、不満を抱くのはごく当然の結果だろう。
その一方で、もしも、相手との関係が「無償の愛」の交換で成立しているのであれば、見返りを期待せずに相手に与えること自体が自分の喜びということが成立する関係性なので、与えることによる「豊かさ」が基準になるだろう。
誤解のないように付け加えると、モノやお金、あるいは温かい言葉やスキンシップを与えることだけが愛情表現とは限らず、時には厳しい言葉やスキンシップ、あるいはモノやお金を与えないことが逆に深い「無償の愛」につながることさえもあるだろう。
人は完璧ではないので、誰もが「無償の愛」を実践できるわけではない。このことを書かせていただいている筆者自身も、「無償の愛」があるかどうかを問われるとほんとうに自信がない。
しかし、愛情には大きく分けて、「無償の愛」と「損得勘定の愛」が存在しているということを深く考えるだけでも、慢心しがちな自分を振り返り、謙虚さが出てくるのではないかと思う。