こころとからだの関係性(心身相関)

福岡のドクターオブカイロプラクティック(D.C.)のブログ。

Archive for 8 月, 2008

空の巣症候群

familychiro 8 月 31st, 2008

先日、遠方に住んでいる大学生の息子さんに久しぶりに会って、息子さんが人間的にも成長されていると実感されたとのこと。

今までは息子さんに対しては事あるごとに、アドバイスをしたり、頼りにされてきたという感覚だったが、息子さんが大人として自立され、自分で考え、自分の行動に責任を持つまでに成長したように感じたらしい。

もう、相談を受けたり、お世話をしてあげたりする必要がなくなったと感じたのだろう。それはそのことで嬉しい反面、母親として何か寂しさを感じるという緊張パターンの反応が出ていた。

もう親としての存在価値がなくなってしまったのではという錯覚による緊張パターンである。

このようなケースを一般的には「空の巣症候群」といわれており、子育てに熱心で、子供へ意識が向き過ぎていればいるほど、その反動は大きい傾向にあるようだ。

このような潜在的なマイナスの思考パターンは、すぐにはプラスに転化するのが難しい場合が多い。

そのようなケースのアドバイスとして、

「お子さんが大人として自立した分だけ、大人としてお互いに深いつながりが保てているイメージはどうですか?」

「たとえ遠く離れて生活していても、親子として心の絆が太くなっているイメージはどうでしょうか?」

とうアドバイスをさせていただくと、大抵はプラスの「リラックスパターン」へと転換する。

多くの場合、親は「教える」「指導する」「育てる」という「与える立場」であると考える傾向あるが、親も子供から「教えられ」「鍛えられ」「育てられている」とうい受けとも方をしていると、お互いに「学び」を中心に深いつながりができやすいのではなかろうか?

「自己満足」と「喜びを創る」ことに矛盾

familychiro 8 月 29th, 2008

自己の成長過程において、まだまだ自分は足りないという謙虚な姿勢は大切だが、その「足りない」という思考パターンが過ぎると、いつまでたっても永遠に足りない、満足できないということになる。

そうなると、永遠に自己の成長に喜ぶことがなくなってくるので、心身共に「緊張パターン」が繰り返されることになる。

「まだまだ、足りない、それ位で満足してはいけない、喜んではいけない」

というようなパターンは、指導者的な立場の方に比較的に生じる「緊張パターン」で、相手にも深い思いやりがあり、自分自身にも厳しいタイプの方に多いようである。

そのような指導者的な立場の方は、一方では、「喜びを創りなさい」という指導もしており、「自己満足してはいけない」という考えと、「喜びを創りなさい」という考え方がぶつりあって、矛盾が生じる場合がある。

どちらの考え方も相手の成長や自己の成長を心から願っての考えなので、このような矛盾はプラスの転換することが難しい。

このような場合、

「心は永遠に磨き続けなくてはならないと思いますので、『まだ足りない』というマイナスのイメージを『さらに(心に)磨きをかけている』ということに喜んでいるプラスのイメージに変えてはどうですか」

というアドバイスをさせていただく。

すると自己満足せずに、永遠に心を磨くことに喜びが生じて、「自己満足」と「喜びを創る」ことに矛盾がなくなる。

人生何事においても「喜ぶ」ということはとても大切なことであり、人生のエネルギー源になっている。

「喜びを創り出すこと」は「価値の創造」であり、「心を磨く」ということと並行して永遠のテーマになる。

首を引っ張られたトラウマ

familychiro 8 月 25th, 2008

先日、首・肩・手・腰の症状を訴えている患者様が来院。

思い当たる原因をお尋ねしてみると、2年ほど前、上司に腰の症状を治してあげるからと云われて、首を後ろに強く引っ張られ、それ以来、首、肩、手に違和感を覚え、症状が治らないとのことで来院。

ファミリーカイロに来院するまでの間、病院でMRIの検査、並びに他の治療院で施術を受けたが改善されなかったらしい。

心身条件反射療法にて原因を調べてみると、やはり、上司に首を引っ張られた時の場面が、トラウマとしても病的に条件づけされており、首を引っ張られる前、直後、その後などのイメージで身体が緊張するように脳にプログラム化されていた。

心身条件反射療法にて、その病的な脳のプログラム化を正常に改善すると、検査前の症状も改善された。ご本人は、このような治療で治るのかなというような半信半疑の顔をされていが、初めての施術体験なので不思議に感じるのが普通である。

色々なところで施術を受けられているとこのことだったが、そこでは、肉体面ばかりに注目していたようで、それでは根本的に治るはずがなかっただろう。

その理由として、病院でも検査されているが、構造面では特に異常がない。また、様々な施術院で機能面の色々な施術を受けているが、2年以上も改善されていない。もしも、脳・神経的な機能異常だけの原因であれば、肉体面だけの神経生理的な病的な条件づけを調整すれば治るはずだが改善されていない。

やはり、本質的な原因は、先に述べたトラウマなので、その肉体面とメンタル面との関係性による脳の病的なプログラムを正常化しなければ、このような症例は肉体面だけの施術では改善ができない。

いつも感じることだが、肉体面とメンタル面との関係性を診る心身条件反射療法を早く、多くの人に知ってほしいし、このような施術法が不思議な治療法ではなく、当たり前の治療法になることを願う。

「死」に対する緊張パターン

familychiro 8 月 23rd, 2008

0135011.jpg「死」すなわち、命がなくなるということに対する恐れや不安は誰にでもあるだろう。人間は、いつかは死を迎えるわけだが、その「死」に対する受け止め方で、肉体が「緊張パターン」になっている人も少なくはない。

死に対する「緊張パターン」の多くは、死後、肉体が消滅するというのは受け入れられるが、精神、心、魂という目には見えないモノはどうなるのだろうということが、想像できずに不安になる場合が多いようである。

死後の精神世界は、受け止め方は人それぞれである。肉体も心もすべで消滅する、光になる、自然に同化するなどの漠然としたイメージでは、潜在意識のどこかで葛藤が生じるようで、身体は「リラックスパターン」には生り難いようだ。

「死」に関連する不安や恐怖を解消するための「リラックスパターン」になる思考パターンは、「輪廻転生」のような「循環型の死後のイメージ」で、「消滅型の死後のイメージ」では「リラックスパターン」になり難いようである。

しかしながら、それぞれの方の信条によっては、「輪廻転生」とうのは信じ難いという方もおられる。そのような強い信条のある方は、たとえ病気を治すための空想的なイメージでさえもできない場合がある。

そのような場合は、それ以上は押し付けになるので、本質的な施術は残念ながらできないことになる。極端な話、命の重さよりもその信条の方が重いという方である。

もっと柔軟に考えることができれば、もっと健康体になれるということを伝えたいところだが、それ以上は押し付けになるので、患者様が望まれるように柔軟に対応させていただいている。

最近、来院された「輪廻転生」に抵抗のある患者様に、その理由を尋ねてみると、4年ぐらい前に、霊感のある方に自分の前世をみてもらい、それ以来、「輪廻転生」を信じなくなったという。

霊能者がみてくれている内容は、ある程度のことが当たっていたので、透視能力を疑っていたわけではなく、過去に悪いことをしたから今がこのようになったといういわゆる「因果論」のことに抵抗を感じたらしい。

「因果論」的な説明は、それぞれの人や出来事によって、マイナスをプラスに転換させる思考に役立つかもしれないが、全く記憶にない前世の罪を償いなさいといわれてもピンと来ないのがほとんどだろうし、過去に~をしたから現在に~のようなマイナスのことが生じているということは、頭では理解していても、感覚的には理解し難いだろう。

また、宗教によっては、過去に~にした罪があるから、拝んで償いなさい、先祖供養しなさいなどと指導されるかもしれない。それを償って病気が治ったりすることもあるかもしれないが、過去を償う気持ちがあるのなら、目の前の人に思いやりや愛情を注いであげることのほうが、もっと大事なことかもしれない。

もっと深く言えば、前世の過去に何かを悪いことをしたとするならば、そのまた、原因があり、その原因の原因もまたあるわけで、因果論的に深く追求すればするほど、その因果の関係は永遠に繋がっているだろう。

そして、「輪廻転生」という概念で、前世→現世→来世という時系列を直線ではなく環で考えるとすれば、前世→現世→来世→前世→現世→来世と輪になってつながっているのではなかろうか?

前世があるから現世があるのなら、現世があるから前世もあるといえるだろうし、もしも、そうであるとするならば、前世のことに言及するよりも、今の目の前に生じている現世の関係性や未来の関係性をプラスにすることが、前世の罪の消滅にもつながるのではなかろうか。

「輪廻転生」とうい考え方を押し付けるつもりは毛頭ないが、傾向として、死後の世界の緊張パターンは、輪廻転生のイメージの方が、はるかに「リラックスパターン」になり易いようである。

誤解のないよう付け加えると、筆者は決して、前世や輪廻転生という仏教的な考え方に傾倒しているわけではない。ただ、仏教にはとても深い思想が含まれており、その思想を生活の中で役立たせていただいているつもり・・・・。

また、目には見えない様々なモノに活かされ、支えられていると心から思っているつもりで、天の神仏を敬い、先祖には深く感謝しようとして手を合わせているつもりだが、時には、神仏にお願いしてはいけないと理屈では分かっていても、弱い人間なのでどこかでお願いしているかもしれない。

目には見えない前世や来世のことも大切だが、もっと大切なのは目の前におこっている今(現世)の瞬間、瞬間を大切に生きることだろうし、目の前にいる人や物、環境を大切にできなければ、先祖供養を形式的に行っても単に自己満足で終わるだけになるかもしれない。

このようなデリケートな話は、できれば書きたくはないところだが、このような健康にかかわる本質的な原因を追及している人が他にはいないと思うので、あえて書かせていただくことにした。

だから、私の「死」に対する考え方を押し付けたりするつもりはなく、ただ、このような拙い話が、皆様の健康のための一助になれば幸いである。

新生児の誕生

familychiro 8 月 21st, 2008

shinnseiji1.jpgshinnseiji.jpgshinnseiji.jpg新生児の誕生先日、生後2週間足らずの新生児の男子とそのお母さまを診させていただいた。今回は、3人目のお子さんで、お一人目の時から、出産前後のケアにはファミリーカイロをご利用してい頂いている。毎回、出産後には診させていただいているが、やはり、新生児shinnseiji.jpgshinnseiji.jpgの誕生は感動的である。 
今回出産は、産婦人科に到着して、20分ほどで出産されたとのことで、とても安産だったというご報告いただいた。
お一人目の時は、うつ伏せでの施術でお腹を保護するクッションを置いて施術していたが、今回の三人目の出産では、臨月でさえもお腹を保護するクッションなしでも抵抗なくうつ伏せになって施術することができ、あまり、妊娠しているという気遣いもなくとてもバランスが良かった。
ご家族でファミリーカイロをご利用いただいており、3人の出産のサポートにかかわらせていただけてとてもありがたい。
お母さまは、出産を重ねるごとに、身体的にもメンタル的にも学習され、心身共にたくましく、また、母親として、女性としてさらに美しくなられているのが神秘的にも感じられる。

「中庸」のバランス その2

familychiro 8 月 19th, 2008

cyuyobalance.jpg「中庸」という考え方の理屈は良く分かるが、感覚的に「中庸」というプラスのイメージができないという患者さんも少なくはない

そのような場合、山あり谷ありの人生を「波乗り」に例えて、簡単にホワイトボードで説明しながらアドバイスをさせてもらうことがある。

大波や小波をストレスに例えて、上手に波の上に乗ることができれば波乗り(人生)は楽しい。予想し難い大自然の波にうまく調和してバランスよく波に乗ることができれば、波乗りの醍醐味、すなわち人生の醍醐味を味わうことができるだろう。

波に乗れなければ前には進まず、勢いがつき過ぎて高くジャンプしてしまうと、その後は落下しかない。だから、上手に水(マイナス)と空気(プラス)の間の水面を上手にバランスよく保つことが必要になる。すなわち、それが「中庸」になる。

大波がある場所を選ぶか、小波しかないところを選ぶかは自分次第。人それぞれに、大波のないところでも楽しみを見出すことができるかもしれないが、やはり、大自然の変化には味があるし、成長がある。

もしも、変化のある大波(ストレス)がなければ、波乗り(人生)は、味気ないものになるだろうし、小波で得る学びよりも、大波で得る学びの方が大きいだろう。

大波に挑戦した後の失敗を恐れてはいけない。失敗があるから成長があり、その失敗の先に成功がある。しかし、自分の能力の限界を超えた大波への挑戦を早まると、大けがをしたり、命を落としたりする恐れもあるので、自分自身の「中庸」のバランスをわきまえて、過ぎることは避けた方が賢明だろう。

失敗の繰り返しによって、波乗りのバランス、すなわち「中庸」のバランスを体得していくことが、健康や豊かさを維持していく上でとても大切になるだろう。

「中庸」のバランス その一

familychiro 8 月 18th, 2008

様々なストレスパターンがある中で、白黒はっきりしないと気が済まなく、白でも黒でもないグレーな領域が苦手なタイプの人がいる。

「白なのか黒なのかはっきりしてよ~」という人は少なくはない。

しかしながら、そのようなタイプの人は、心身が緊張パターンになり、そのパターンが原因で様々な症状を生じさせることが多い。

中国の論語の中で、「中庸」という言葉がある。孔子が、「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と言われとされる。これは、「どちらにも片寄らない中庸の道は、徳目の最高指標である。」という意味で、「過ぎることもなく、及ばぬこともなく、しかも偏らないで、終始変わらないところの中庸は、人間の道徳としての価値が最高至極のものである。」としている。

この「中庸」という思想は、心身の健康のみならず、ビジネスやスポーツの世界においても、様々なバランスをわきまえるという意味においては、とても重要な座標軸になるように思う。

アスリートなどはとくに分かりやすい例だと思うが、この「中庸」が保てなかったときに、心身が過ぎてしまい、体調を崩して本番で実力が発揮できなくなる例も少なくはないだろう。

スポーツに限らず、人生においても、この「中庸」を保つことは、最高指標だということが良く分かる。

「中庸」を保つために「ほどほど」や「いい加減」という感覚がとても大切になるが、それが、中途半端なことをしているかのように誤解を受けやすい。

過ぎることもなく、及ばぬこともない中庸のバランスは、目的に応じてどこに軸足を置くかのポイントの見極めがとても大切になるだろう。

北京オンピックの女子マラソンで2連覇を期待されていた野口みずき選手は、中庸のバランスでいえば、恐らく「過ぎてしまった」一例かもしれない。

2連覇を達成するためのプレッシャーと自己の肉体の限界を超えたトレーニングとの狭間でバランスを崩したのかもしれない。

その肉体の限界にメンタル面がどのように調和するかがポイントになるが、過ぎているという基準は、誰が決めるのだろうか?

恐らく理屈的なモノではなく感覚的なモノだろう。そして、その限界への挑戦を“楽しむ”ことに転嫁できるか、あるいは、“義務”として臨むかでも心身両面の「緊張」度合は大きく異なるだろう。

もっと深く言えば、“楽しむ”こともほどほどにしなければ、楽しむことが過ぎると「中庸」が保てなくなる。だから、「中庸」を保つことはとても大切で難しいのである。

人間は成長ために、時には限界に挑戦することも大切だが、それが過ぎると、長い目で見るとマイナスになることもある。

また、「中庸」の観点からすると、「成長」過程の全てバランスが取れているとは限らない。時には「休止」、さらには「衰退」も長期的な成長からすれば必要なものなのかもしれない。

心身条件反射療法では、肉体の神経反射反応を基準に検査を行うため、この「中庸」のバランスが保たれているかどうかがすぐに分かる。

「期待」に絡んだ「緊張パターン」

familychiro 8 月 17th, 2008

ある会社役員の方で、様々なストレスが飛び交う中で、前回は自分の意識レベル(抽象度)を高い位置に置くことで、まともに受けていた部下のマイナスをプラスに受け取れることができているようで、心身的にも、実業の現場でもうまくいくようになっていると喜びのご報告をいただいた。

特に強い症状ではないが、首の周辺の「緊張パターン」の原因を調べてみると、部下のブロジェクトに対する「期待」が、影響を及ぼしており、その「期待」に対するプラスに転換が少し難しくなっているようすだった。

いつもはプラスの転換がとても上手な患者さんだったが、少し悩まれている様子。

保井:「その期待の枠を広げてみてはどうでしょうか?」

患者:「・・・・あっ、期待の枠を縦に広げるのですね?」

保井:「そうです。恐らく期待のレベルの枠が狭すぎていたのではないでしょうか?」

患者:「あ~なるほど、期待のレベルの枠を縦に広く広げればいいのですね。」「おもしろい~」

「期待」に対する「緊張パターン」は、それぞれに異なり、上を期待するは当たり前だが、その期待が限局的であればあるほど、脳の緊張度は高まるので、できるだけ期待の幅を広げるようにできれば、脳の緊張度は低くなる。

脳の波長の幅が広いほど健康の幅も広くなるようだ。

噛み合わせを改善すれば全身症状が治る?

familychiro 8 月 11th, 2008

身体の様々な症状を改善するために、噛み合わせの治療で全身症状が改善するという歯科医院に通院していたが、症状が改善されず、さらに本格的に歯科矯正を行った方がいいですよと勧められ不安に感じてファミリーカイロを受診する。

症状は、めまい、肩、首、腰、膝にコリ感が常にあるとのこと。ちなみに顎関節の症状はないが、全身の症状を改善したくて、噛み合わせの治療を行ったが効果がなかったらしい。噛み合わせを改善すれば症状が改善すると信じて治療をしても治らなければ不安になるのは当然だろう。

恐らくそこの歯科医の先生は、患者様を治してあげたいという気持ちだったろうし、実際に噛み合わせの治療で、肩こりや腰痛、その他の症状が改善された患者様もいただろう。しかし、その治る本質的な仕組みが、単に噛み合わせという構造的な問題が修正したからだと単純に結び付けるのには問題があるのではなかろうか。

以前にも、噛み合わせの治療をしばらくされて、症状が改善されずに困っている患者様を何人か診させていただいたことがあるが、その中の一人の患者様は、多額の費用をかけて治らずに訴訟問題にまで発展したとのことだった。

人間の身体の構造は、機械ではなく有機的な生命体なので、神経系によってすべてがコントロールされている。よって、もしも、症状が改善するとすれば、噛み合わせが先ではなく、脳・神経系が正常化して噛み合わせなどの構造が正常化するというのが本質的だろう。

もしも、噛み合わせの治療で症状が改善するとすれば、恐らく歯を研磨する際の振動刺激によって、脳・神経系が活性化され、筋・骨格系や自律神経系が改善されたことによる結果であり、歯を削らなくても脳・神経系への様々な刺激法で改善されることが予測できる。

噛み合わせが良くなったから症状が改善されたと結び付けるのは簡単だが、噛み合わせが原因だと決めつけるのは、多くの誤解を招くし、もしかすると、倫理的に良くないことかもしれない。

顎関節症などの顎間接関連の症状で来院される患者様の多くは、歯を研磨するような噛み合わせの治療をしなくても、ほとんどが改善する。

歯が折れたり、歯が損傷した場合は、歯の修復が当然必要であるが、歯の損傷や顎関節損傷がなく自然発生的に生じた症状は、脳・神経系→筋肉系のシステムが正常化されれば治るようになっている。

その原理原則的な人体のシステムを無視して、構造の修復だけで治そうとするのは無理があるのではなかろうか?

機械論主体の原因の決めつけはカイロプラクターにも多い。実際に背骨を矯正して、その場で症状が改善されるので、背骨の歪みが原因だと錯覚して患者に説明することが多い。

筆者自身も機械論的な施術から有機論的な施術へとパラダイムシフトするまでは、色々な疑問を持ちながらも、背骨の矯正で症状が改善されると錯覚して、背骨の歪みが様々な症状の原因だと説明していた一人でもある。

実際には関節への振動刺激が脳・神経系に作用して、症状が改善されるというのが本質であるが、多くのカイロプラクターは、骨、関節の構造的移動によって、症状が改善されたと錯覚しているのである。

本質的な原因、根本的な原因を深く深く追求すれば、延々と深いレベルまで掘り下がっていくのかもしれないが、脳科学的なレベルでいえば、噛み合わせや背骨の関節構造異常はあくまでも結果であり、原因ではない。

噛み合わせなどを構成している関節は、靭帯、筋肉で支えられ、常に動いている。力を意識的に抜いていても、中枢神経系では無意識レベルで筋肉は常にコントロールされている。

もしも、その筋肉をコントロールしている神経系に機能的な異常が生じれば、筋肉の働きが悪くなり、関節の支点がずれて噛み合わせも悪くなる。

神経→筋肉→関節→噛み合わせというシンプルな身体システムを考えてみれば、単に噛み合わせや関節の構造的ひずみだけを注目をして問題視するのは問題があるように思う?

心身条件反射療法では、症状の因果関係が明確になるので、自然発生的に生じた噛み合わせの異常や背骨のひずみは「結果」であり「原因」ではないということが良く分かる。

「休み」がストレスの原因

familychiro 8 月 9th, 2008

beechchild1.jpgお盆休み前など休暇前にストレスパターンになる人は少なくはない。

一般常識では、「休みで何もすることがない」ということが、心身の体調を崩すようなストレスパターンになるとは考え難いだろう。しかし、そのようなパターンになると、一日をダラダラと過ごしてしまい、自律神経系に不調を来す人が多いようである。

心身条件反射療法で検査をしていると、様々な症状の原因が、「休み」に絡んでいるということが明らかになる。

「休み」もバランスよくとることが大切だが、「休まなくてはいけない」と頭で考えて、心身を意図的に休めようとすると、逆に心身のバランスを乱してしまうようだ。

人間は、本来働くようにできているようで、その本能的な作用を止めてしまうと、心身に不具合が生じてしまう。恐らくそのようなことを感覚的に感じている人は、少なくはないのではなかろう。

「働く」ということは「与える」いうことで、「休み」ということは「得る」ということなので、そのバランスが「得る」ばかりに偏り過ぎると、心身共のバランスが乱れてくるようだ。

やはり、生命体である以上は、何かを与え続けることが、自分の健康や幸せ、喜びにつながるという宇宙の法則のようなものがあるように感じる。

「与える」チャンスがあれば、しっかりと与えて「徳」の貯金をして、「得る」という消費はできるだけ最小限にしておいた方が、心身共に健康でいられるように思う。

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